アンデルマットからゲッシュネンGöschenenの道標の写真

アンデルマットから悪魔の橋へ

1 このコースはアンデルマット(Andermatt)から隣のゲッシュネン駅(Göschenen)まで電車のルートに沿って設けられたハイキング道を歩きます。ここは両側が鋭く切り立った岩で囲まれ、谷底にはロイス川(Reuss River)が流れるスイスでも名にし負うシェレネン(Schöllenen)の峡谷です。
ハイキングの所要時間はゆっくり写真を撮りながら歩いても1時間30分~2時間ぐらいですから、半日の散策コースとして利用すれば結構楽しめます。
ホテル・ドライケーニゲ&ポストの写真
2 アンデルマットのアルトシュタット(旧市街)にはロイス川の支流が流れ、すぐそばの広場にはドイツの文豪ゲーテも泊まったことのある老舗ホテル(Hotel Drei Könige&post・旅籠)があります。
ここではよく結婚式の披露宴が行われており、馬車に乗った新郎新婦が村民や観光客に祝福されている光景が見られます。
ホテル・ドライケーニゲ&ポストの写真
ホテル・ドライケーニゲ&ポストの部屋から眺めた景色と、“Auguri = おめでとう、お幸せに!” と書かれた馬車で村の中を走る新郎新婦の後ろ姿です。
馬車に乗る新郎新婦の写真
3 アンデルマットからスタートして “悪魔の橋(Teufelsbrücke)” を見てゲッシュネンまで歩くハイキングコースは下のイラストマップに記した赤い破線の部分です。
ハイキングコースはずっと下りで、途中何回も車道と交差し、その度に道路を横切らなければなりません。可愛いハイカーの絵(ウルスリ坊やの絵)が描いてある道標に従って、木立の中の道を行きます。
ただ途中、大きな分岐もありませんし、ロイス川に沿って歩いていけば道に迷うことはありません。
アンデルマットからゲッシュネンまで歩くハイキングコースのイラスト
4 アンデルマットの駅を通り過ぎると、右側に大きな軍隊の駐屯地がありますので、村の中を歩いていても銃を持った兵隊さんたちによく出会います。
そして、さらに進むと古い教会(聖コルンバヌス教会=St.Kolumbanskirche )があり、その先から少し山道に入るのですが、今日は生憎小雨が降っていますので、シェルターのかかる車道沿いの歩道を下って行くことにします。
聖コルンバヌス教会=St.Kolumbanskircheの写真
5 この峡谷は風の恰好の通り道になるため、突風が吹き抜け、冬には積もる雪さえ、瞬く間に吹き飛ばされます。 また強い雨が降ったり、雪解けの時期になると、全ての水がこの峡谷に流れ込み、川は増水し、大きな岩や、石の橋まで押し流します。目もくらむような峡谷を、恐々と覗けば、岩をも押し流す勢いで、激流が流れています。
峡谷の写真
6 峡谷の岩壁を貫く軌道を走る電車の写真を撮ろうとハイキングコース上でしばらく待っていると、独特の金属音とともに赤と白でカラーリングされた美しい列車が現れ、ゆっくりとトンネル内に消えていきました。
トンネルに入る電車の写真
7 伝説にある悪魔の橋は、いまは建て替えられて新しい橋がかかっています。
またループのようになったゲッシュネンへ行くハイキングコースの脇には、小さなスイスレストラン(Restaurant Teufelsbrücke)があります。
その近くの岩壁にはスヴォーロフ元帥がアルプス越えをした記念の碑も彫られています。


スイスレストラン(Restaurant Teufelsbrücke)の写真 8 この地は、「悪魔の橋」(トイフェルスブルッケ= Teufelsbrücke)の伝説のほかに、ロシアのスヴォーロフ元帥が一戦を交えた場所としても、よく知られています。
時はフランス革命戦争が進行する1799年、スイス連合軍に参加していたロシアのアレクサンドル・スヴォーロフ元帥が、この峠で、侵攻するフランス軍と交戦し、激戦の末、見事に後退させた、といわれます。
戦いの絵
9 そしてこの後、スヴォーロフ元帥率いる師団は、この悪魔の橋を渡り、アルトドルフへと向かったのでした。
下の写真は「DER ALTE WEG ZUR NEUSEN ZEIT 1956=新しい時代への古い道」と書かれたモザイク画です。
「DER ALTE WEG ZUR NEUSEN ZEIT 1956=新しい時代への古い道」と書かれたモザイク画の写真
下の写真はスヴォーロフ記念碑(Suworow-Denkmal)です。
スヴォーロフ記念碑の写真
10 そんな厳しい自然環境ですから、ここには当然ながら伝説が生まれました。
~ 昔のこと、この急峻な谷と激流のロイス川を渡るのが難しかったため、村人たちが悪魔に頼んでここに橋を架けてもらおう、ということになりました。 すると、本当に悪魔が現れて、願いは聞くが、橋を最初に渡る者を生け贄に差し出すよう要求してきた、といわれます。
悪魔の橋(トイフェルスブリュケ=Teufelsbrücke)の写真
悪魔の橋(トイフェルスブリュケ=Teufelsbrücke)の写真
11 村人たちは、その要求をのみましたが、いざ橋が出来上がると、彼らはヤギを先に渡らせ、生け贄は出しませんでした。
約束違反に怒った悪魔は、大きな岩をつかんで橋を壊そうとしましたが、そこへ老婆が現れ、その岩に十字(架)を描くと、悪魔は岩を置いたまま逃げ出しました、と伝えられます。~
車が通るトンネルの入口には、写真のように赤色で悪魔と戦うヤギの絵が描かれています。
悪魔と戦うヤギの絵の写真
12 悪魔の橋、スイスレストラン、スヴォーロフ記念碑などを観て、さらに進めばやがて右手に滝(Reuss Wasserfall)が流れています。そしてハーデルリスブルッケ(Häderlisbrücke)と呼ばれる橋に出てきます。
石を積んで造った橋で、1649年建造、その後激流で崩壊、再建されたとても均整の取れた美しい橋です。傍に下記のような碑があります。
ゲッシュネン駅に近づいたところにはもう一つロイスブルッケ(Reussbrücke)という石造りの橋が出てきます。
ハーデルリスブルッケと呼ばれる(Häderlisbrücke)橋の写真
ハーデルリスブルッケ建造碑の写真
13 これらの石造りの橋が見えてきたら、ゲッシュネン駅はもうすぐです。
悪魔の橋の関連記事は、このページとは別に拙サイト「アイドルを探せ・悪魔の橋で悪魔に遭う」にも掲載してあります。


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