日 程 | 内 容 | 宿泊場所 |
□月□日 | □□→鬼怒川温泉→湯西川温泉 | 湯西川平家本陣 |
□月□日 | 湯西川温泉→加仁湯温泉→鬼怒川 | 鬼怒川温泉 |
□月□日 | 鬼怒川温泉→おさるの学校→ | |
〃 | 東武ワールドスクエア→□□ |
800年の歴史を持つ奥鬼怒の湯西川温泉と関東地方最後の秘湯 : 加仁湯温泉を訪ねました。
村の中心を流れる湯西川沿いには古い温泉宿や民家が立ち並んでいますが、私が昭和40年代初めにここを訪れて感激した “秘境“ という感じは、今では残念ながら殆ど残されていません。
今日はまず鬼怒川温泉駅前で格安のレンタカーを借りて国道121号線を野岩鉄道に沿って北上しました。
そして湯西川温泉駅の先のトンネルを抜けてすぐに左折し、県道249号線に入ります。曲がるとすぐに「道の駅湯西川」「湯の郷西川観光センター」があり、ここで一休みしていきましょう。この下から湯西川ダムを観光する水陸両用バスが発着しています。
そして長いトンネルを何度も抜け、湯西川湖を見ながら奥へ奥へと進みます。やがて「湯西川・水の郷」が見えるころ、村の入り口に到着です。
村の中の観光は後でゆっくりすることにして、先ずはリニューアルが終わってきれいになった老舗旅館「平家本陣」にチェックインします。
平家本陣は平家落人が傷を癒やしたといわれる湯西川温泉の中心にあり、絶景の大浴場や露天風呂、地元食材を使った囲炉裏料理などが人気のあるホテルです。観光名所の「平家の里」のすぐそばです。
夜は露天風呂でカジカガエルの美しい鳴き声を聞きながらのんびり ‘ 温泉治療 ’です。
平家落人の村といわれる所以を探ると次のような歴史があります。平安時代の末期、平家は壇ノ浦の戦いで源氏に破れ、多くの武士が海に沈んで死んでしまいました。
しかし、生き延びた武士やその家族が平家落人となって全国各地に逃れていきました。
源氏による厳しい平家討伐が進むなか平家の家臣 平貞能公とその一族は、藤原朝網公を頼りに現在の日光市と塩原市、矢板市にまたがる高原山に身を隠し敵を避けました。
ところがそこで、 一族の女性が男の子を出産し、そのお祝い事として端午の節句に鯉のぼりを揚げたため、源氏方に見つかってしまい手痛い打撃を受けました。
そのため平貞能公とその一族は塩原と湯西川の二手に分かれ、さらに山奥に、山奥にと逃げ込んで行きました。
そして何とか湯西川に逃げこめた平家落人たちはやがてこの地を安住の地と定め、ひっそりと隠れ住んできました。
そんなことが大昔にあったため、 ここ湯西川集落では端午の節句に今でも鯉のぼりをあげず、 また明け方に大きな鳴き声をあげる鶏は飼わない、そして煙の上がる焚火はしないという風習が残されています。
「平家の里」として後世に残すため、落人たちが暮していた住居や生活用具などが復元、展示されています。また、園内にある庭園には小川が流れていて、川沿いには美しい赤とピンクのクリンソウがたくさん咲いています。
さらに園内には、将来の再起のためにと平家落人が大切に持ち運んできた武器や宝物を埋めたと伝えられている「平家塚」も残されています。静かな場所にひっそりと建てられた塚を見ていると、古が偲ばれます。
また歩いても行かれる直ぐ近くには小規模ながら平家落人民俗資料館があり、鎧兜や刀、着物、生活用品、文献など平家に関する資料などがたくさん展示されています。普通の家を資料館にしたような規模ですが、結構貴重なものが展示されています。
また、時期が少し違い今回は見ることができませんでしたが、この3年ほどコロナ禍で開催されていなかったという「湯西川温泉かまくら祭り」が、今年は久しぶりに開催されたそうです。
通常ですと毎年1月下旬から約一ヶ月間、近くの野外会場で開催されるそうです。
この祭りの様子の写真は撮れませんので「平家の里」に復元された当時の住居内に展示されていた写真を、さらにスマホで撮ってきました。
翌朝はさらに秘湯を守る会会員の「上屋敷平の高房」、源泉かけ流し温泉「湯西川水の郷」で足湯につかり、さらに温泉でのんびり ”治療” です。
そして高台から五十里湖が望める大変展望の良い人気の「湖畔亭ほそい」で手打ち蕎麦と釣りたての鮎の唐揚げを食べてみました。評判に違わずとても美味しかったです。次は♨ 加仁湯温泉紀行 ♨ へ